- 家永三郎《日本文化史》(第二版)筆記和考研真題詳解
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- 2021-05-21 22:17:46
第Ⅱ章 古代社會初期の文化
2.1 復習筆記
目次
1金屬文化の渡來
2階級と國家の成立
3君主制國家の形成
4民族宗教としての祭り
5『古事記』『日本書紀』の伝える物語
6古代文化と性
7日常生活
8造形美術
1金屬文化の渡來
(1)日本の特殊性
すでに鉄器時代にはいっていた漢文化の影響で金屬器時代を迎えた日本では、青銅器時代を経過することなく、石器時代から一とびに鉄器時代にはいったのである。したがって金屬器時代の初期には、青銅器と鉄器とがならびもちいられる狀態であった。ここにも、日本文化史の先進文明國のそれと異なる特殊性を見出すことができる。
(2)彌生文化
金屬器時代の最初の文化は、彌生土器という、縄文土器とまったく異なる様式の土器をともなっているところから、彌生文化と呼ばれている。
2階級と國家の成立(彌生時代研)
(1)背景
水田耕作の開始は、日本社會の構造を一変させるほど大きな影響力をもっていた。
①開墾や灌漑などのために大規模な共同労働が必要となり、聚落への集中が密となっていった。
②余剰物資の蓄積が可能となり、労働力の大小強弱による富の大小の區別があらわれ、階級的搾取関係が形づくられてきたのである。
(2)概況
①政治的支配関係が生み出され、各地に小さな政治集団が簇生するにいたった。それらの「國」に「王」があった。
②小國群立時代の「王」が政治的君主であるよりも、むしろ巫祝を本質とした。これは古墳時代以後の専制君主とは質的に大きな違いがあり、初期の支配者の特色といえる。
③その原因を考察すると、天候?気象など人力によっては動かすことのできない自然條件に依存しなければならない農業を主産業とすることは、呪術の必要をいっそう大きくした。呪術による耕作の順調な進行と豊かな収穫との保障を目的とする農耕儀禮が、村落共同體になくてはならない行事となる。農耕儀禮をつかさどる巫祝が、同時に村落共同體の統制にも重要な役割をになう。
④後にこの「王」のひとつが日本全土の「大王」となり、七世紀頃から「天皇」という稱號を使うことになるのであるが、天皇が後世まで國家の君主であると同時に最高の司祭として祭祀大権をもっていたのは、日本の「國體」が彌生時代以來の古い性格を清算することなく溫存してきたことを示すものである。
3君主制國家の形成(古墳時代研)
(1)概況
①四世紀から六世紀ごろにかけて、前方後円墳を代表とする高塚古墳が、畿內を中心に全國に數多くつくられる。畿內の大和に生れ出た一小國の「王」が、日本全土の「大王」となって、その支配力を東國から九州にまで拡大した。ここに古代専制君主國家として、日本民族は政治的に統一されたのである。
②大王は諸小國連合の形で日本の君主となったのである。大王の政治的?経済的な力の蓄積にともなって、その統制力は次第に強化され、中央集権的古代官僚國家の體制が形づくられてくるのである。その傾向を推進する有力な原動力となったのは、支配者たちの積極的な大陸文化の輸入であった。
(2)原動力——大陸文化の輸入
この輸入は朝鮮半島の軍事侵略を通路とする大陸文化の摂取である。大陸の高度の物質文化を輸入することによって、支配者たちの文化的優越性を高め、被支配者への圧倒的優勢を維持する。
①物質文化
六朝時代の銅鏡またはこれを模した仿製鏡、金冠、金銀耳飾などの大陸的工蕓品や、新しく輸入された高度に進んだ製陶技術によって作られた須恵器など。
②精神文化
漢字の使用による記録の作成や、陰陽?天文等の中國の知識の輸入が行なわれた。さらに六世紀になると、儒學の経典、仏教の偶像などの百済からの輸入が行なわれた。
③政治
「部」とよばれる人民支配の體制も、百済の「部」の制度を學びとった。
(3)社會の階級構成
この時代の社會の階級構成は豪族——農民——奴隷であった。つまり、従來の諸小國の「王」たちは豪族として大王に服従しながら、人民を支配しつづける。かれらおよび農民の中の有力なものは、さらに奴?婢と呼ばれる奴隷を所有する。
(4)社會の基本的構造
當時の生産力のおもなにない手は農民であったのであり、豪族と農民との間の支配関係が、この時代の社會の基本的構造であった。
(5)氏姓社會
豪族は血統をあらわす氏と、身分の高さをあらわす姓とをもっており、支配者の地位を世襲した。氏?姓をもつ身分の支配する社會であるところから、つぎの律令國家と區別するために、氏姓社會とよぶこともある。
★彌生文化時代は小國分立の時代であり、古墳文化時代は氏姓社會の時代である。
4民族宗教としての祭り
(1)概況
①『魏志』倭人伝に記述されている呪術的行為が民族宗教の原始的な形態である。
②彌生時代以後の民族宗教は、農耕儀禮を本質とするものである。すべての呪術的行為が、終局には農耕の順調な進行の保障に向けられる。
③民族宗教の本體は、呪術的な儀禮をもって唯一の內容とする。呪術的行為の中で社會的にもっとも重要なのは、「祭り」である。
(2)原始的な祭りと後世の祭りとの異なるところ
①後世の祭りは原則として神社の祭禮であり、神社という固定した建築の施設が祭禮の前提となっている。原始的な祭りは、臨時の施設を設けて祭りを行ない、祭りが終れば施設は撤去されたのであって、固定した建築施設を必要としなかった。一定の場所が祭場として反覆使用されるにつれ、そこが神聖な地域として特別に取り扱われるようになり、やがてそこに神社が建築されることとなるのである。
②後世の神社が恒常的な建築施設として存在し、その本殿にいつも神が鎮座しているという後世の常識と違って、民族宗教にあっては、樹木や鏡、剣、土器などの「よりまし」に臨時に神霊の降誕を求めて祭りを行なうのであり、ふだんから神が駐在する神殿を必要としなかったのである。
★それは民族宗教における神が人間的な形態をもつ人格神でなかったことと深い関係がある。
日本のカミというと、人でも、鳥獣でも、山川草木でも、そのほか何でも、すべてふつうでなく変ったところがあって畏敬の対象となるものは、すべてカミである。これは日本の神の特色である。
③祭りがもともと個人的信仰に支えられるものでなく、地域的共同體の集団的行事であった。
後世になると、次第に個人の福徳?除災を神社に祈るようになる。これは新しい信仰內容の発生であり、民族宗教の変容現象にほかならない。
都市の発達により、農耕儀禮から切斷された神社が生れてくるが、都會においても、近代にいたるまで祭禮が個人の意志を無視して集団的に運営される。
ただし、集団の行事とはいっても、それはどこまでも村落的行事であって、國家的行事ではない。神社神道を國教のように取り扱い、神社參拝を國民の個々に強要するにいたったのは、明治以後の天皇制絶対主義官僚の創作であって、民族宗教の歴史的伝統にはないことである。
(3)神社信仰と仏教信仰との平行
①日本には、仏教がひろく流布した後にも、民族宗教はそのまま保持され、神社信仰と仏教信仰とは平行して日本人の生活に深い根をおろしてきた。
②日本の文化には、伝統的な古い層の文化が、外來の、あるいは國內で創造された新しい層の文化の展開により消滅することなく、重層的に共存する場合が多いという特色がいちじるしい。
③日本文化の伝統的要素が広く持続してきた基盤は:
a.海を渡って往復する少數の人々を通じてのみ海外文化を受容し、日本人と海外他民族との広範囲の接觸が海という自然の障壁によってなされなかったこと。
b.基本産業である農業生産の技術において、彌生文化時代のそれから根本的にぬけきれないこと。
c.農村共同體の生活様式が根底から変革されることなしに存続してきたことなどである。
(4)影響
古代初期の文化は宗教的行事と関係のないものはほとんどなかったのである。後世、蕓術として獨自の文化形態を形づくり、高度の水準に達した和歌も、物語も、猿楽能も、人形浄瑠璃も、すべて民族宗教関係の行事を母胎として生れたのである。
5『古事記』『日本書紀』の伝える物語
(1)概況
①『古事記』は七一二年太安萬侶が、『日本書紀』は七ニ〇年に舎人親王らが完成したものである。
しかしながら、記·紀は太安萬侶なり舎人親王なりが新たに書き下したものではなく、古くから伝わってきた文獻を整理し加筆して一部の書物にまとめあげたものである。
もっとも新しいところでは八世紀の筆が入っているが、大體はそれ以前のある時期にまとめられた原資料を基礎としている。
②記·紀を氏姓社會の産物として取り扱うことができる。さらにそのうちに、五世紀以前からの古い伝承がふくまれている。數百年にわたる長い期間のいろいろの段階の要素が重なり、合っているのであるから、単純にある一つの時期の文獻としてとりあつかってはならないのである。
③『古事記』と『日本書紀』とは、天皇の祖先とされる神々をはじめ歷代の天皇の系譜とその時代のできごととを時間的順序を追って記述した歴史書の體裁をとっている。忠実な歴史的事実の記録とみなすべき部分もあると同時に、まったくの思想的な創作に出た部分も多ければ、史実を加工し変形した記述も少くないのであり、両書を全體として歴史書とみることはできない。
④記?紀の物語は大體の構想では根本的な違いは少いが、表現やディテイルでは性格が違う。『日本書紀』が漢文で書かれ、したがって中國思想による潤色が多い。また、律令貴族の政治思想でそれ以前の段階の物語を変容している部分の多い。『古事記』にあっては、人間の生々しい苦悩や歓喜が政治的な意図とはかかわりなく率直に表出されている記事が多い。
(2)構成
①きわめて正確な史実の記録と認められる『日本書紀』の天武?持統天皇の三巻と、まったくの思想的創作から成る両書の神代巻とを両極として、その中間には記録的要素とそうでない要素とがからみあっている。
②記録でない要素もその性質は一様でない。記?紀またはその原資料の編者の機上の創作に成るものもあれば、豪族や民間の伝承を採取して構成した部分もあり、その成立年代や性質も各要素ごとにまちまちである。
a.民間の伝承をとり入れたもの。
b.民間の信仰や風習の産物も多く、必ずしも支配階級の政治的立場からつくり出されたものでない。たとえば、民謡を利用したもの。
★記?紀の各要素のうちには、古代初期の民衆の生活のいぶきがいたるところにただよっている。記?紀の物語や歌謡が、『源氏物語』のような貴族の閉鎖された社會で創作された純粋の貴族的作品と非常に違った性格を、そこに見出すことができるのである。
c.記·紀はそのような古くからの民間の伝承をふくむとともに、それとは違った層の創作からも成り立っている。記?紀の巻頭の「神代」の物語は、部分的には前述のような民間伝承を豊かにふくんでいるにもかかわらず、その全體の構造は、支配階級の政治的意図から出た創作である。
要するに記·紀の物語の體系は、天皇とこれをめぐる支配階級の支配的地位を権威づけるためのものであり、一般人民が全然物語の構成要素として登場していないのである。
(3)その他
①地方の伝説などを集めた出雲、播磨等の『風土記』、祝詞などは政府の手に集められたものであるが、特異の伝承をもっているし、祝詞?壽詞には、古い時代の祭りの具體的な姿がうかがわれる。
②沖縄の島々の住民は同じ日本民族でありながら、長年月にわたり本土から分離した狀況にあって、獨自の地方文化を維持してきた。十六世紀から十七世紀にかけて編集された宗教歌謡集『おもろさうし』には、沖縄の古い宗教信仰のすがたが語られているとともに、本土の文蕓にはとぼしい雄大な海洋文學の趣をふくんでいる。
6古代文化と性
(1)概況
①古代初期の日本人が性に関してきわめて開放的であった。
②古代初期の性についての開放的な意識は當時の婚姻関係と深い関係がある。古代初期には婚姻は夫が妻の家に通う妻問婚の形で行なわれるのを原則とした。
(2)性と呪術との関連
原始社會にあっては、生殖器が呪力の象徴と信ぜられ、またそれが農耕儀禮にも引きつがれて、農業生産力の象徴として信仰の対象となったのである。
7日常生活
(1)概況
階級の區別のなかった原始社會とちがい、この時代の人々の日常生活に階級的なちがいが生じてきた。
(2)階級的な違い
①住宅
高塚古墳と地中への直接の埋葬という死後における身分上のへだたりは、生前においても、高床の住宅と竪穴の住宅というちがいを示していたのである。
この時代に支配階級の住居や倉庫のためにはじめてあらわれた高床の建築は、その後次第に竪穴に代って一般民衆の住居にまでひろがっていく起點となった。
②服裝
支配階級は、上半身には衣を著け、男はだぶだぶのズボンのような褌、女はス力ートに似た裳をはいている。直線形の布で胴部を覆い首を出した「貫頭衣」が日本人の原始的な服裝の基本形態であった。民衆は貫頭衣の系統をひく手無しや裾の短いワンピースの衣服を著用していた。
8造形美術
(1)高塚古墳
古墳時代に支配階級がもっとも力を注いで造ったモニュメントは高塚古墳であったが、古墳を美術品と見ることはできない。
(2)彫刻
古墳の外部に立てられた埴輪には人物像や家屋?動物形などが多く、土偶に次ぐ日本固有の素樸な彫刻技術を発揮している。
(3)工蕓品
古墳の副葬品に豊かな工蕓品が多い。後期の橫穴古墳には「裝飾古墳」が現われる。
(4)建築
高床式建物のもっとも洗練された様式を、比較的忠実に伝えているのが出雲大社?伊勢神宮などの古い歴史をもつ神社の社殿である。色彩や裝飾をほとんど用いず、直線的な白木の木材の構造美のみによって簡素で実用的な建築を構成しており、建築の日本的様式の精粋を示す。
【中文版復習筆記】
1金屬文化的傳入
(1)日本的特殊性
日本在已經進入鐵器時代的漢文化的影響下迎來了金屬器時代,沒有經過青銅時代而從石器時代一步跨入鐵器時代。因此日本金屬器時代早期是青銅器和鐵器并用。從這里也能看出日本文化史與先進文明國家不同的特殊性。
(2)彌生文化
金屬器時代最早的文化,伴隨著彌生陶器這種形態與繩紋陶器完全不同的陶器,所以稱為“彌生文化”。
2階級和國家的建立(彌生時代研)
(1)背景
水田耕作的開始產生了極大的影響,以致改變了日本社會的結構。
①為了開墾、灌溉等,必須進行大規模的集體勞動,集中到村落的人數日益稠密。
②剩余物資的積累成為可能,出現了因勞動力大小強弱不同而形成的財富不均,形成了階級剝削關系。
(2)概況
①產生了政治統治關系,各地涌現小型的政治集團。這些“國”各自有“王”。
②小國林立時代的“王”與其說是政治上的君主,不如說其本質是巫師。這與古墳時代以后的專制君主在本質上大不相同,可以說是早期統治者的特點。
③這一特點的原因是:農業必須依存于氣候、氣象等非人力能控制的自然條件,所以以農業為主要產業就增大了巫術的必要性。目的在于用巫術來保障風調雨順、五谷豐登的農耕儀式成為村落共同體不可或缺的活動。主持農耕儀式的巫師同時在統制村落共同體方面也發揮著重要作用。
④后來這些“王”中之一成為日本全境的“大王”,從約七世紀起開始使用“天皇”這一稱號。但直到后世,天皇既是國家的君主同時又一直作為最高祭司掌握著祭祀大權。這表明:日本的“國體”保存了下來,并沒有消除彌生時代以來的古老特征。
3君主制國家的形成(古墳時代研)
(1)概況
①從四世紀到六世紀,以畿內為中心,全國各地建造了為數眾多的,以前方后圓墳為代表的高冢古墳。出生于畿內大和地方的一個小國的“王”成為日本全境的“大王”,他的統治權已從東國擴大到了九州。日本民族在政治上統一成為古代專制君主國家。
②大王以諸小國聯盟的形式成為日本的君主。隨著大王政治·經濟勢力的積累,其統治力量逐漸加強,形成了中央集權的古代官僚國家體制。統治者們對于大陸文化的積極吸收成為了推動這一趨勢的強大動力。
(2)動力——對大陸文化的吸收
這種吸收是以對于朝鮮半島的軍事侵略為途徑來吸取大陸文化。通過吸收大陸的高度物質文化,來提高統治者在文化上的優越性,保持對被統治者的絕對優勢。
①物質文化
六朝時代的銅鏡或仿制銅鏡,金冠、金銀耳飾等大陸工藝品以及應用新傳入的高度先進的制陶技術燒制的須惠陶器等。
②精神文化
使用漢字記事,傳入了中國的陰陽、天文等知識。到了6世紀,從百濟傳來了儒學經典和佛像等。
③政治
稱作“部”的統治人民的體制也學習了百濟的“部”制。
(3)社會的階級構成
當時社會的階級構成是豪族——農民——奴隸。即過去各個小國的“王”作為豪族臣服于大王,同時繼續統治著該小國的人民。他們以及農民中的有勢力者進而擁有稱為“奴”“婢”的奴隸。
(4)社會的基本結構
當時生產力的主要代表時農民,豪族和農民之間的統治與被統治關系是這個時代社會的基本結構。
(5)氏姓社會
豪族擁有代表血統的氏和代表尊貴身份的姓,統治者的地位是世襲的。這是一個由擁有氏、姓的等級統治的社會,根據這一點,有時也稱之為氏姓社會,以區別于其后的律令國家。
★彌生文化時代是小國分立的時代,古墳文化時代是氏姓社會的時代。
4作為民族宗教的祭祀
(1)概況
①《魏志?倭人傳》所記述的巫術活動是日本民族宗教的原始形態。
②彌生時代以后的民族宗教,本質是農耕儀式。一切巫術活動最終是為了保佑農耕的順利進行。
③民族宗教的主體以巫術儀式為其唯一的內容,巫術活動中最重要的是“祭祀”。
(2)原始祭祀和后世的祭祀的不同之處
①后世的祭祀原則上都是神社的祭典,神社這一固定的建筑設施是祭典的前提。但原始的祭祀只是設置臨時設施舉行祭禮,祭祀完畢后設施即撤去,不需要固定的建筑設施。隨著反復使用某個固定的地點作為祭祀場所,那里就逐漸作為圣地受到特殊對待,最終在那里修建神社。
②后世一般認為神社是一種固定的建筑設施,正殿上總是有神像端坐著。與此不同,民族宗教是以樹木、鏡、劍、陶器等為“依代(神靈降臨居住的媒介)”,臨時請求神靈降臨而舉行祭祀,平時無須神常駐的神殿。
★這一點與民族宗教的神并非是具有人形的人格神密切相關。
日本的神,人、鳥獸、山川草木以及其他任何事物,所有不同尋常具有奇異之處因而成為敬畏對象者,全都是“神”。這是日本的神的特色。
③祭祀本來并不是建立在個人信仰的基礎上,而是地區共同體的集體活動。
到了后世,人們漸漸祈求神社為個人消災降福。這是產生了新的信仰內容,是民族宗教的變容現象。
隨著城市的發展出現了與農耕儀式沒有關系的神社。但即使在城市,直到近代為止,祭祀仍是無視個人意志而集體操辦。
但雖說是集體活動,也始終是村落范圍的活動,而不是國家大典。把神社神道奉為國教,強迫每個國民參拜神社,是明治以后天皇制專制主義官僚的創造,并非來源于民族宗教的歷史傳統。
(3)神社信仰與佛教信仰的并存
①日本在佛教廣泛傳播之后,民族宗教仍照舊保留,神社信仰和佛教信仰并存,深深扎根于日本人的生活中。
②日本文化的一個顯著特點:傳統的古老文化不會因為外來的或國內創立的新文化的發展而消亡。許多情況下,它們相互重合而共存。
③日本文化的傳統因素廣泛保持下來的基礎:
a.日本只是通過少數渡海來往的人接受海外文化,由于海洋這一天然壁障,日本人未能與海外其他民族進行廣范圍接觸。
b.作為基本產業的農業生產技術沒有從根本上擺脫彌生文化時代的落后狀態。
c.農村共同體的生活方式保存了下來,沒有發生根本的變化,等等。
(4)影響
古代早期的文化幾乎沒有一樣與宗教活動無關。后世作為藝術形成獨特的文化形態,并達到高度水平的和歌、物語、猿樂、偶人凈琉璃,也都是以民族宗教方面的活動為母胎產生的。
5《古事記》、《日本書紀》中的傳說
(1)概況
①《古事記》于712年由太安萬侶完成,《日本書紀》于720年由舍人親王等人完成。
但“記·紀”都不是由太安萬侶或舍人親王新寫出來的,而是將自古傳來的文獻加以整理、加工而匯總在一部書中。
其中最新的部分是8世紀時添加進去的,此外大體上以這之前某個時期所匯總的原始資料為基礎。
②可以把“記·紀”看作氏姓社會的產物。而且它們還包括了五世紀以前流傳下來的古老傳說。長達幾百年的各個階段的組成部分相互重合,因此不能把它們視為單純某一個時期的文獻。
③《古事記》和《日本書紀》采取史書體裁,按照時間順序記述了被說成天皇祖先的眾神及歷代天皇的譜系和各代的事件。這兩本書確實有一部分堪稱歷史事實的忠實紀錄。同時,純屬主觀臆造的部分也很多,加工或歪曲史實的記載也不少。所以整體而言,不能把這兩本書看作史書。
④《記》《紀》神話故事大體構思雖然很少有根本差異,但在表現形式和細節上卻各有特色。《日本書紀》用漢文撰寫,因而許多地方按照中國思想作了潤色,也有不少部分按照律令貴族的政治思想對以前時期的神話故事進行了篡改。《古事記》則有許多與政治意圖無關、直率而生動地表達人們悲歡的記述。
(2)構成
①《日本書紀》中的天武天皇、持統天皇三卷被認為是極其可靠的史實記載,而兩本書的神代卷則純屬虛構。它們形成兩極,其間夾雜著史實記錄部分和非史實部分。
②非史實部分性質也不一樣。既有出自“記·紀”或其原始資料編撰者案頭創作的部分,也有采錄了豪族或民間傳說寫成的部分。成稿年代和性質也是各部分各異。
a.吸取了民間傳說的章節。
b.有不少民間信仰和習俗的產物,而不一定是從統治階級的政治立場出發編造出來的。如采用民謠的內容。
★“記·紀”的各個組成部分中,到處都洋溢著古代早期民眾生活的氣息。由此可以看出《記》《紀》的故事和歌謠與《源氏物語》之類在貴族的封閉社會中創作的純粹貴族作品迥然不同的特點。
c.《記》《紀》不僅包含著這一類自古流傳下來的民間傳說,同時包含著與民間不同的階層的創作。兩書的卷首“神代”故事雖然部分地包含著上述大量民間傳說,但其總體結構是出于統治階級政治目的的創作。
總之《記》《紀》的神話體系旨在賦與天皇和以天皇為中心的統治階級的統治地位以權威,一般人民根本沒有作為故事的組成部分出現。
(3)其他
①收集了地方傳說的出云、播磨等國的《風土記》、祝詞等同樣由政府收集,但其中包含獨特的傳說。祝詞、壽詞則反映了古代祭祀的具體面貌。
②沖繩群島的居民雖同屬日本民族,但長期處于脫離本土的狀態,因而保持了獨特的地方文化。十六、十七世紀匯編成書的宗教歌謠集《奧摩羅草紙》不僅反映了沖繩古代宗教信仰的面貌,而且富有本土文藝所缺少的氣勢恢宏的海洋文學情趣。
6古代文化與性
(1)概況
①古代早期的日本人在性方面極其開放。
②古代初期有關性的開放意識與當時的婚姻關系具有密切的聯系。古代早期,婚姻原則上以丈夫到妻子家的訪妻婚形式進行。
(2)性與巫術的關系
在原始社會,生殖器被奉為符咒力的象征。它還被聯系到農耕儀式,作為農業生產力的象征成為信仰對象。
7日常生活
(1)概況
與沒有階級區別的原始社會不同,這一時代人們的日常生活中產生了階級差異。
(2)階級差異的表現
①住宅
身份差別不僅在死后表現為高冢古墳與直接埋進地下的不同葬法,在生前也顯示出高地板住宅與豎穴住宅的區別。
這個時代用作統治階級的住宅或倉庫而首次出現的高地板建筑,后來逐漸取代豎穴,成為發展為一般民眾住宅的起點。
②服裝
統治階層男女上身都穿衣,男子下身著肥大的褲子般的褲裙,女子穿類似裙子的“裳”。用直線形的布遮蔽身軀而露出腦袋的“貫頭衣”是日本人原始服裝的基本形態。平民穿由貫頭衣一脈相承的坎肩或下擺短的連衣裙。
8造形美術
(1)高冢古墳
古墳時代統治階級傾注了最大力量營造的紀念碑式建筑是高冢古墳。但不能把古墳看作美術品。
(2)雕刻
豎立在古墳外部的冥器中有許多人物像或住房、動物形象等,繼陶俑之后發揮了日本固有的樸素的雕刻技術。
(3)工藝品
在古墳的陪葬品中有很多豐富多彩的工藝品。后期的橫穴古墳中出現了“裝飾古墳”。
(4)建筑
比較忠實地反映了高地板式建筑物最精致形式的是出云大社、伊勢神宮等具有悠久歷史的神社的神殿。這些神殿幾乎不用色彩和裝飾,而僅僅利用直線形白木木材的結構美來構成樸素而實用的建筑,體現了日本建筑形式的精華。